『完全犯罪に猫は何匹必要か?』感想
東川篤哉 2008(ノベルス版は2003) 『完全犯罪に猫は何匹必要か?』文庫版 光文社
トリック、その手掛かりの提示のされ方、動機論などいずれの謎もとても面白く読み応えがあった。
動機も途端に過去の因縁が明らかにされるのではなく、物語の随所にヒントがあり、読者がその推測を楽しめる形だったのもよい点だった。
野暮な意見かもしれないが、タイトルが冠する完全犯罪という言葉の割には、犯人の計画はその計画の段階で多くの隙があるのではないだろうか。しかし事件の背景を考えればこの手段を選んだことにも犯人とっては意趣返しのような意味合いがあったのかもしれない。
巻末に掲載されている霧舎巧の解説もとても興味深かった。霧舎は自身を本格ミステリとラブコメの融合、東川を本格ミステリとギャグの融合としている。
本格ミステリにおけるいわゆる問題編の退屈さを霧舎は指摘する。それについて一部の小説家は「人間を書く」ことによって問題編を魅力的なものにしてきたという。
一方で東川はギャグのなかにヒントを提示するという手段で問題編を読み応えのあるものにしようと試みているという。
なるほどと思った。私はこれに似た感覚を西澤保彦の『ナイフが空から降ってくる』を読んだときに感じた。
また霧舎の解説においては、探偵役である鵜養とその一行が被害者の死を悲しんだり、義憤に駆られ事件解決に向けて使命感を燃やすようなことがないことが指摘されている。
しかし絶えず探偵役とその助手がボケとツッコミを繰り返すこのシリーズにおいてはそうした描写はむしろその雰囲気にはそぐわないと霧舎は指摘するのだ。本書においても被害者の家族や知人はさして嘆き悲しむ様子は目立たない。
かつて本格ミステリにおいて人間が書けていない、という批判がなされたというが、人間の書き方は単一ではないのかもしれない。ちなみに同様の批判は『ナイフが空から降ってくる』読書会を学生同士で行ったときにも聞かれたものだ。
少なくとも東川のこのシリーズにおいては、現実にこんな人間がいるだろうかと思わされることも多いが、かといって彼らが物語を面白くするための駒であるかのように、不自然な行動をしているという印象はない。
ところで第二の事件のトリックは本当に成立するのであろうか。こういったことに詳しい方がいればぜひご教授いただきたい。